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【甲子園は目指していない】平成の最強校の見えざる執念とは!?



本命中の本命。いつしかそう呼ばれるようになった。
夏の甲子園での勝率は88%、通算29勝4敗である。
今年の主将とエースは福岡出身、4番は広島出身。
“留学生”が多いことから、「素材」を羨む声も聞く。
だが、日本一の理由はそれだけか。昨秋の蹉跌から
今夏のVまで、王者の人知れぬ背水のドラマを追う。
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日本一「臆病」な監督だから――。大阪桐蔭の強さの秘密は、そこに尽きる。

「うちが横綱って言われるのは、僕の体型を見てじゃないですか」

そう冗談を言って笑うのは、1998年から大阪桐蔭を指揮する西谷浩一だ。西谷の采配は堂々たる恰幅とは対照的に実に細心だ。

自身、4度目となる全国制覇を遂げたこの夏も、その性向は随所に見られた。

乱打戦となった準決勝の敦賀気比戦。1回表にいきなり5失点し、その裏、1点を返しなおも無死一、二塁と攻め立てると、4番の正随(しょうずい)優弥にカウント2ボール2ストライクと追い込まれながらも送りバントを指示。決勝の三重戦でも、4-3と1点リードの8回裏、無死一塁とし、またしても正随に送りバントのサインを送った。西谷が話す。

「慎重派なのは間違いないでしょうね。相手ピッチャーの映像も、もうええやろ、というぐらい見せますから」

2番手投手は試合中のブルペンで100球近く投げることも。

大阪桐蔭には「タイミング取り」という練習がある。対戦する投手の映像を見ながら、素振りを繰り返すのだ。

「タイミング取りを朝10分やって、練習が終わってバスに乗り込む前に10分やって、宿舎についてご飯を食べる前に10分やって、食べ終わったら各自で10分やらせて、そのあと仕上げに全体でまた10分やるとか(笑)」

大阪桐蔭は試合中、2番手投手も休む暇がない。初回からブルペンに入りまずは肩をつくる。中盤に、もう一度つくる。終盤になったら、いつでも登板できるようキャッチボールをしながら肩を温めておく。どんなに万全な展開でも、西谷から「何がおこるかわからん」と投球練習しておくよう促されるため、ブルペンで100球近く投げることもざらだ。

とことんまで石橋を叩いて渡る性格だから、どんなにいい選手が入っても「素材任せ」に陥ったり、野球が雑になることがないのだ。

藤浪晋太郎ですら自信を失いかけたチーム内での競争。

ただ、西谷はこう小さく愚痴をこぼす。

「すっごい選手ばかりおると思われてるけど、実際はそんなことないんですよ。2012年に春夏連覇したときも、春に田端(良基)が骨折して、違う選手が4番に入ってホームランを打ったもんだから、ジャイアンツみたいに選手があり余っているように見られた。ぜんぜん、そんなことないんですよ」

確かに、大阪桐蔭だけが、とは思わない。しかし全国的に見れば、トップクラスの選手が集まっていることは間違いない。OBの浅村栄斗(西武)に、なぜ大阪桐蔭出身のプロ野球選手は大成するのか尋ねたとき、こんな回答が返ってきた。

「入ってくる選手はみんなレベルが高い。そこでレギュラーになろうとすれば、自然と技術が上がっていく。競争の段階で、他の高校にはないものがある」

’12年の春夏連覇の立役者、藤浪晋太郎(阪神)でさえ、入学直後、中学時代に「愛媛ナンバー1」と呼ばれていた同学年の澤田圭佑のボールを見て「こんなエグい球を投げるやつがおるんか」と自信を失いかけたという。

秋季大会コールド負け後、西谷監督が語りかけた言葉。

大阪桐蔭は現在、1学年20人の計60人で活動している。その20人は中学時代、名を馳せた選手ばかりだ。だが「身内」になると西谷の目には物足りなく映ってしまうのだろう。

「もっとできるんじゃないかって思っちゃうんですよね。謙遜しているわけじゃないんですよ。森(友哉=西武)も、プロで活躍する姿を見て、すごい選手やったんやな、って。うちを出てから気づくんです」

また選手たちも、上には上がいるということを嫌というほど知っているため、慢心することがない。オフになると毎年のように中村剛也(西武)、中田翔(日本ハム)、平田良介(中日)、浅村らOBが帰ってきて特打ちを行なう。西谷は「それを見てたら調子になんて乗ってらんないですよ」と話す。「中田なんて金属バットで打ったら、150、160mぐらい簡単に飛びますから」

しかし、そんな大阪桐蔭にあって、今年は「スター不在」の世代だった。新チーム結成後、最初の公式戦は、秋季大会大阪府予選4回戦で履正社に1-13で5回コールド負け。この敗戦によって選抜大会出場が絶望的となり、連続出場記録が4季で途切れた。

主将の中村誠は「桐蔭の伝統に泥を塗ってしまったと思った」と当時の心境を語る。

試合後、万博記念公園野球場周辺の木陰で、西谷は車座になり選手たちに語りかけた。

「このまま負けて終わりか? おまえらにプライドがあるんやったら、いちからやり直すしかないんちゃうか?」

交換日誌には何度も「日本一」と書き込まれた。

チームが変わったのは、そこからだ。底上げをはかるため、日本高校野球連盟が定めた練習試合ができる期限ぎりぎりの11月30日の夜まで試合を組んだ。ミーティングでは西谷も選手も、ことあるたびに「日本一になるためには」と切り出した。この代から始めた交換日誌の表紙には「日本一になるための準備」と書き込み、その日誌に互いに何度も「日本一」という言葉を使った。

この夏、大阪桐蔭ほど「日本一」という言葉をよどみなく発しているチームは他になかった。反面、最近よく耳にする「楽しみたい」という言葉は、まったくと言っていいほど聞かれなかった。

決勝前、主将の中村は当然のように言った。

「この日のために練習をやってきたので」

そして、こうつけ加えた。

「監督に誉められたことがない。だから今日、日本一になって誉められたいと思います」

彼らは甲子園を目指しているわけでも、その甲子園で上位進出をねらっているわけでもない。決勝の舞台に立ち、そこで勝つために大阪桐蔭を選び、365日を過ごしてきた。

「本当に野球が好きな子じゃないと続かない」

西谷は2年前から野球部員全員に寮に入ることを義務づけている。

「寮も、グラウンドも、山ん中です。そこで寝食をともにしながら野球に打ち込む。それが桐蔭の野球だからです。自由な時間が欲しいとか、通いの方がいいという子は、よその高校に行っちゃいますね。本当に野球が好きな子じゃないと続かない。でもそのぶん、よそより叩き上げてきたという自負はある」

かといって、西谷は目先の勝利だけに固執しているわけでもない。

 

Number web 引用

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